キユーピーの歩みと未来
2019年、キユーピー株式会社は
創業から100周年を迎えました。
お客様の健康を願う想いを大切にしてきた
100年の歩みをご紹介します。
創業期
戦後復興期
成長期
事業領域拡大へ
挑戦は続く
創業期
食品工業株式会社
(現・キユーピー株式会社)
創業
1919(大正8)年、キユーピ ーの前身である食品工業株式会社は、食品の製造会社として、現在の東京都中野区に創業し、ソース類、缶詰などの製造を始めました。
中島董一郎(なかしまとういちろう)は創業時、取締役の一人として名を連ねます。その後、「キユーピー マヨネーズ」の製造を開始するとともに、その後の企業成長において中心的役割を担いました。
中島はまた、中島商店(現・株式会社中島董商店)を1918(大正7)年に創業し、同商店が1972(昭和47)年までキユーピーで製造した商品の販売を担いました。
創業期
日本で初めてマヨネーズを
製造・販売
中島は1910年代、当時の農商務省による海外実業練習生として英国と米国に約3年間滞在。そこで“オレンジママレード”と“マヨネーズ”に出会いました。
1923(大正12)年に関東大震災が発生。その復興の中で女学生の装いが洋風化するなど生活様式が変化する様子を見た中島は、食卓にも変化が訪れると感じ、食品工業でのマヨネーズの製造に向けて動き出します。
1925(大正14)年、「おいしく、栄養のあるマヨネーズを、生活必需品となるまで広く普及させて、日本人の体格と健康の向上に貢献したい」という想いで、卵黄タイプで栄養価の高い「キユーピー マヨネーズ」を発売しました。ブランド名には当時、人気だったキャラクターの「キユーピー」を採用しました。
発売当時、日本ではほとんど知られていなかったマヨネーズ。「キユーピー マヨネーズ」を広めるため、食卓にさりげなく「キユーピー マヨネーズ」が描かれている美しい絵画を広告に使うなど、創意工夫を凝らしました。
創業期
「アヲハタ ママレード」発売
株式会社旗道園
(現・アヲハタ株式会社)
設立
発売当初は食品工業で製造しましたが、中島商店の出資で設立された株式会社旗道園(きどうえん)でも製造がスタートし、その後、旗道園がジャムやフルーツ缶詰などの製造の中心になりました。
現在の商品へのつながり
キユーピーグループでは、「アヲハタ ママレード」で培った素材の加工技術、缶詰の技術などを応用し、ジャムやパスタソースをはじめ、ベビーフードや介護食などの商品を、家庭用から業務用まで展開。赤ちゃんからお年寄りまで、それぞれの世代の食に貢献しています。
創業期
「キユーピー マヨネーズ」の
出荷量約500トンに
卵白の有効活用を模索
1941(昭和16)年、マヨネーズの出荷量が10万箱近く(約500トン)に達しました。マヨネーズの製造量が増えるにしたがい、残る卵白の需要の創出の必要に迫られました。
卵白の発生量が急増していったころ中島は、「マヨネーズ事業を成功させるには、卵白をうまく売らなければならない」とよく口にしていたとされます。
現在にいたるまで続く卵の有効活用の模索が、卵の特性をいかした商品につながっています。
戦後復興期
「キユーピー マヨネーズ」の
製造再開
1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発、マヨネーズの原料が手に入らなくなり、1943(昭和18)年頃食品工業はやむなく製造を休止しました。戦後も物資不足はつづき、マヨネーズを製造するには闇市の原料を使うしかありませんでした。しかし、それは自身の信念に反すると考えた中島は、闇市での原料調達をかたくなに拒みました。そのため、ようやく製造を再開したのは、安定した品質の原料が流通しはじめた1948(昭和23)年でした。
再開後も、良い原料が入手できない時は製造を休止するなど、こうした時でも、「良い商品は良い原料からしか生まれない」という原料に対する強い信念、食品を扱う者の心構えとして「正直」「誠実」を貫きます。そのような品質第一の姿勢を貫いた結果、お客様からの信頼を得て、マヨネーズの出荷量は伸びていきます。
キユーピーグループの社是「楽業偕悦(らくぎょうかいえつ)」の原点
戦後はあらゆるものが不足し、闇市もごく当たり前にある時代でした。従業員の中にはこのような闇市で原料を調達してでもマヨネーズを早く作ろうと言う人もいました。それを断固拒否した中島のもとを、去っていく従業員もいました。この経験で中島は「志を同じくする人と業を楽しんで悦びをともにする、そこに仕事のやりがいがある」との想いを強くします。その想いは、キユーピーグループの社是「楽業偕悦」につながっています。
戦後復興期
キユーピー株式会社へ社名
変更
1957(昭和32)年、食品工業株式会社はキユーピー株式会社に社名を変更しました。「食品工業」という言葉が食品製造の分野を指す言葉として使われるようになり「○○食品工業」という会社が増えていました。そこで差別化のために採用されたのが、マヨネーズ発売から30年以上にわたり親しまれてきた「キユーピー」のブランドであり、それをそのまま社名にしたのです。
成長期
ポリボトル容器入りマヨネーズ発売
1958(昭和33)年、瓶容器・ポリエチレン袋入りに加え、さらに使いやすい自立式ポリボトル容器入りの「キユーピー マヨネーズ」を発売します。
キユーピーは、製造工程の合理化の度に値下げを実施、ポリボトル容器の発売とともに、マヨネーズ市場の急成長の後押しとなりました。中島が発売の時から抱いていた「マヨネーズを生活必需品にしたい」という想いの実現につながっていきます。その後、急激な需要の伸びに対応するため、工場の建設、設備の増強を進めていきます。
成長期
日本で初めてドレッシングを
製造・販売
「キユーピー マヨネーズ」の需要が急増するなか、マヨネーズ以外の商品開発にも挑戦し、1958(昭和33)年には日本で初めてドレッシングを製造・販売します。「キユーピー フレンチドレッシング(赤)」からはじまったキユーピーのドレッシングは、その後、時代のニーズにあわせて、多様に広がっていきます。
成長期
工場見学スタート
1961(昭和36)年から本格的に工場見学をスタート。地元の小学生の社会科見学の申し込みがそのきっかけでした。ふだん目にすることのない工場の中を見ていただくことで、商品に対する私たちの想いや姿勢を伝えています。
オープンキッチン
キユーピーは、「工場は家庭の台所の延長」と考えています。そのため、工場見学を「オープンキッチン」と呼んでいます。現在では全国4工場と東京都調布市の見学施設(マヨテラス)を合わせて、年間約10万人の方々にお越しいただいています。
成長期
原料も自らの手で。
西府産業株式会社(現・キユーピー醸造株式会社)設立
酢はマヨネーズの味の決め手です。「キユーピー マヨネーズ」では、リンゴ果汁やモルトなどを原料に独自の技術で醸造した、風味豊かな酢を使用しています。しかし、マヨネーズ発売当時の日本では中島が理想とする酢は手に入りませんでした。そこで国内の醸造メーカーの協力を得て、酢の開発に取り組みます。1962(昭和37)年、それらのメーカーとともに、西府産業株式会社を設立。マヨネーズ専用の酢の製造を開始しました。
成長期
「キユーピー3分クッキング」放送開始
1962(昭和37)年、キユーピー3分クッキングの放送を開始。「天気予報のように料理のヒントをお伝えし、毎日の献立づくりに役立ちたい」という想いから始めました。キユーピー3分クッキングは、放送開始以来一貫して「簡単、便利、毎日の献立づくりに役立つ」レシピを紹介し続けている、キユーピーの一社提供番組です。
広告宣伝で大切にしていること
キユーピー3分クッキングの他に長く継続している代表的な活動として、野菜をもっと食べていただくことをテーマにした広告(1974年開始)、全日本おかあさんコーラス大会への協賛(1978年開始)などがあります。一貫した活動を長く続ける姿勢は、キユーピーが大切にしている「広告宣伝は資本(財産)として蓄積されていくべきである」という考え方につながっています。こうした考え方は、前会長・相談役の中島雄一によって確立されたもので、今の広告宣伝活動まで受け継がれています。
成長期
キユーピー倉庫株式会社
(現・株式会社キユーソー流通システム)設立
「キユーピー マヨネーズ」の出荷量が急激に伸び、工場での原材料・資材の入庫、商品の出庫の業務が多忙を極めていた頃、キユーピー倉庫株式会社が設立されました。生産(キユーピー)、販売(中島董商店)と倉庫業務を分社化することで効率化をめざした設立でした。
当初の主な業務は、仙川工場製マヨネーズと中島董商店の扱い商品の保管・出荷業務。その後まもなく、商品の配送・受注業務も行うようになり、グループ内外の物流を担っていきます。
事業領域拡大へ
三英食品販売株式会社と
業務用市場へ
1969(昭和44)年、中島董商店は三英食品販売にキユーピーの業務用商品の販売を委託しました。外食や学校給食の市場が拡大する中、より安全・安心な商品を供給していきたいという想いから、三英食品販売を通して、業務用商品の本格的な販売に着手しました。その後、外食産業の市場は大きく広がるとともに、お客様のニーズも多様化・高度化していきますが、三英食品販売は、それらのニーズに直接対応することで、今日のフードサービス営業の礎(いしずえ)をつくりました。その後、キユーピーグループの営業体制の再構築にあわせ、1990(平成2)年、キユーピーと合社しました。
事業領域拡大へ
キユーピーで製造した商品の販売を、株式会社中島董商店よりキユーピー株式会社に移管
創業以来1972(昭和47)年まで、キユーピーが製造する商品の販売は、中島董商店が担い、販路の開拓とお客様との信頼関係を築いてきました。中島董商店は、現在では、キユーピーグループの広告宣伝やブランドマネジメント、ITシステムや不動産の管理などを担っています。
事業領域拡大
キユーピー・アヲハタグループ海外事業部を設置
1975(昭和50)年、中島董商店を中心にして、キユーピー・アヲハタグループ海外事業部が設置されました。その後、日本で培った技術を生かし、その国々の食文化に合わせた工夫をすることで、海外展開が広がっていきました。
事業領域拡大へ
デリア食品株式会社を設立し、中食市場へ
1970年代の日本は、女性の社会進出や核家族化の進行、外食産業の隆盛など、食に関わる環境が大きく変わりはじめ、家で一から手づくりするのが当たり前の時代から少しずつ食事が外部へ、そして多様化していきます。その市場へ積極的に対応するためにデリア食品株式会社を設立し、サラダや惣菜領域の事業拡大を図っていきました。
事業領域拡大へ
キユーピータマゴ株式会社を
設立
「キユーピー マヨネーズ」の製造開始以来、副産物である卵白の活用に取り組んできました。やがて、卵白にとどまらず、卵黄、全卵についても、卵を割って冷蔵・冷凍した液卵・凍結卵などのタマゴ素材品に加工し、販売するようになりました。これらの業務をさらに専門化し、お客様のさまざまなニーズにお応えすることをめざして、1977(昭和52)年、キユーピータマゴ株式会社を設立しました。
2018(平成30)年12月、キユーピータマゴ株式会社と株式会社カナエフーズが合併し、新たなキユーピータマゴ株式会社としてスタートしました。オムレツ、スクランブルエッグなど調理済みのタマゴ加工品の製造・販売まで幅広く展開しています。
事業領域拡大へ
ファインケミカル分野へ進出
マヨネーズの主原料のひとつである卵には、生命誕生に必要な成分の多くが含まれています。これに着目し、卵から有用成分を取り出し活用するために発足したのが、ファインケミカル事業。1982(昭和57)年、卵黄レシチンの販売を本格的に開始し、その後、食品はもちろん、化粧品や医薬品まで幅広い分野で数々の商品を開発し販売しています。
挑戦は続く
北京丘比食品有限公司を設立
1993(平成5)年、中国国内でのマヨネーズの製造・販売を行うため、北京丘比食品有限公司を設立。以降、マヨネーズを中心に、ドレッシングやジャムの製造・販売を行い、サラダやパンなどの西洋料理の広がりに合わせたメニュー提案を進め、「丘比(キユーピー)」ブランドの認知向上に取り組んできました。2010(平成22)年には、「丘比」ブランドは日本の食品メーカーとして初めて中国政府により「馳名(ちめい)商標」に認定されました。
※馳名商標:中国の国家工商行政管理総局商標局が認定する、中国での知名度が高く、公によく知られたブランドのこと
挑戦は続く
株式会社サラダクラブを設立
働く女性や単身世帯の増加、核家族化などの社会的背景を受けて、新鮮なサラダをいつでも手軽に、そして無駄なく食べられる「パッケージサラダ(カット野菜)」へのニーズの高まりを予測し、1999(平成11)年、株式会社サラダクラブを設立しました。
サラダクラブが製造・販売するパッケージサラダは、鮮度のよい野菜を衛生的な工場で加工・袋詰めをしており、洗わずに食べられます。全国の野菜生産者の皆様と連携し、野菜の鮮度とおいしさにこだわった商品を提供しています。
挑戦は続く
グループ研究開発・オフィス
複合施設
仙川キユーポート開設
2013(平成25)年、東京都調布市の旧仙川工場跡地に、グループの研究開発機能と本社機能をあわせ持つ仙川キユーポートを開設しました。
これまで以上にグループ各部門の力をあわせることで、商品開発のスピードアップや、新しい発想の商品を生み出すことに取り組んでいます。そのためには、部署を超えたコミュニケーションもより活発にしていくことが必要と考え、壁や柱の少ない開かれたフロア空間や打ち合わせに使えるスペースを多く設置、商品やメニューの試食がすぐにできるキッチンスペースを設けています。
今では、グループ各部門が協力して開発した商品が生まれてきています。
挑戦は続く
食を通じて社会に貢献する
一般財団法人キユーピーみらいたまご財団を設立
キユーピーグループは「食を通じて社会に貢献する」という創始者中島董一郎の精神を受け継ぎ、事業活動だけではなく、食育活動の推進など社会貢献活動も積極的に進めています。
私たちが従来進めてきた独自の取り組みを進展させるだけではなく、食育や子どもの居場所づくりに取り組む団体を支援することで、私たちだけでは成し得ない社会貢献につなげていきたいという想いから、2017(平成29)年、一般財団法人キユーピーみらいたまご財団を設立しました。
本財団は、2019年4月、公益財団法人に移行しました。
挑戦は続く
中国に広州丘比食品有限公司、フィリピンにKewpie Philippines, Inc. 設立
2018(平成30)年、中国事業における生産能力の増強を図り、成長の著しい華南エリアの開拓を加速するため、中国に広州丘比食品有限公司を設立しました。また、フィリピンにおけるキユーピーグループ商品の輸入販売拠点として、Kewpie Philippines, Inc.を設立しました。

これからも世界の食卓においしい笑顔をお届けするため、国内市場の深耕と、さらなる海外展開を進めていきます。
挑戦は続く
次の100年へ
1919年の創業以来、キユーピーは、創始者の「お客様の健康を願う想い」を大切にしてまいりました。
次の100年に向けて、その想いを継続し続けるとともに、多彩な従業員が活躍し、成長し続けられる企業をめざして、さらに新しい挑戦を続けてまいります。
アセット 5