2007年06月29日
こんにちは。なかしま です。
パラドックスについて具体的に考えたいと思います。
カーナビはとても便利なツールです。以前であれば地図で目的地を調べ、現在地から目的地まで地図のページが変わるたびに、番号でページを探しながらページをめくっていました。ページが変わるたびに現在地が合っていることを確かめるのも一苦労でした。
それがカーナビの登場により、地図のページめくりは何だったのか、と思えるくらいの便利さ。広域図から拡大図まで自由自在です。出かけるときは住所だけ、あるいは電話番号だけ知っていれば、目的地に行けるようになってしまいました。
思うに何のストレスもプレッシャーもなく、生活が豊かになった気がするのです。
ところが人間は便利に適合し、地図で調べないだけに、私はカーナビを頼ると時間的余裕を持たずに家を出かけます。そこでもし住所が見つからなかった場合、パニックになります。
実際に先日発生したのですが、横浜のあるホールに出かける予定でしたが、住所を入力したところ、私のカーナビは東京はあるのですが、横浜市の住所を検索できないものでした。そこであの手この手でやってみたのですが、ホールの名前は結局見つかりませんでした。
幸いに小さな地図が案内状に印刷されていましたので、それとカーナビの図面を見比べながら、何とかたどり着くことができました。当日は大雨でしたので、車を降りて聞いて回るのも容易ではなかったはずです。
こんなパニックは事前に地図で調べておけば、決して起きるはずのないものでした。便利なものを頼ったときに、それが機能しなかったときの対応力のなさで、思わぬストレスが発生するのです。
携帯電話でも同じようなことがあるのではないでしょうか。大勢人が集まるところで、「じゃあ、現地についたら携帯で・・・」と約束して、もし携帯が使えなかったらどうでしょうか。もしそのときにコンサートの時間が迫っていたりしたら・・・
新しい技術が実は新しいストレスを生む・・・っていうこともあるのかもしれませんね。
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